YS-11保存機探訪 -但馬空港その1-
旅客を乗せての定期運行から,完全退役にしてしまったYS-11。
これから少しずつ,日本各地に保存されている,
保存機を訪ねてみようと思っています。
まずは,地元に近い但馬空港のYS-11です。
但馬空港は,兵庫県北部の豊岡市に位置し,
地域の高速交通の空白状態を1日も早く解消し、
交通の利便性を高めるコミューター空港として、
平成6年5月18日に開港しました。
現在は,1200m×30mの滑走路が1本で,
日本エアコミューター(JAC)が大阪空港との間を,
朝夕各2便(サーブ340B)運航しています。
これから少しずつ,日本各地に保存されている,
保存機を訪ねてみようと思っています。
まずは,地元に近い但馬空港のYS-11です。
但馬空港は,兵庫県北部の豊岡市に位置し,
地域の高速交通の空白状態を1日も早く解消し、
交通の利便性を高めるコミューター空港として、
平成6年5月18日に開港しました。
現在は,1200m×30mの滑走路が1本で,
日本エアコミューター(JAC)が大阪空港との間を,
朝夕各2便(サーブ340B)運航しています。
この場所にYS-11が1機,静態保存されています。
その1では,全景の写真と案内プレートを掲載します。
ちなみに,YS-11は写真のように
昨年,兵庫県で開催されたのじぎく兵庫国体で,
大会マスコットだった「はばタン」といっしょに置かれています。
その1では,全景の写真と案内プレートを掲載します。
ちなみに,YS-11は写真のように
昨年,兵庫県で開催されたのじぎく兵庫国体で,
大会マスコットだった「はばタン」といっしょに置かれています。
次回は,私の視点で捉えたYSの姿を掲載します。
分かり易くするために,
案内プレートの記述を,以下に再掲します。
案内プレートの記述を,以下に再掲します。
案内プレートの記述
日本航空機製造式YS-11A-500R型国籍記号登録記号:JA8734
製造番号:第2103号(182機中、103号機)
履 歴:1969(昭和44)年4月15日 製造
1969(昭和44)年4月16日 全日本空輸㈱受領
1989(平成 元)年4月10日 エアーニッポン㈱購入
1999(平成11)年2月17日 登録抹消
総飛行時間:54,747時間16分
総飛行回数:63,611回
諸 元:全 長 26.30m
全 幅 32.00m
全 高 9.00m
巡航速度 450㎞/h
航続距離 1,200km
最大離陸重量 25.00t
エンジン ロールス・ロイス ダートMK543-10K×2
3,060SHP
乗員/乗客:2/64名
構 造:アルミ合金製セミ・モノコック構造
製造会社:日本航空機製造㈱
三菱重工、富士重工、川崎重工
新明和工業、日本飛行機、昭和飛行機
YS-11は、戦後我が国で始めて国産された双発ターボプロップの中型輸送機です。
1959(昭和34)年設立された日本航空機製造(株)に航空メーカー6社が参画して本機の設計、試作を行い、1962(昭和37)年8月30日に名古屋空港で初飛行し、1964(昭和39)年8月に型式証明を取得しました。
YS-11の開発目的としては、1,200mの滑走路を持つ飛行場で運航が可能である点に主眼が置かれ、開発には日本の航空界の総力が注がれました。
1965(昭和40)年9月、全日本空輸(株)の大阪~高知を皮切りに定期路線に就航、その後1978(昭和53)年4月には、日本近距離航空株式会社(現、エアーニッポン株式会社)路線でも運航を開始しました。
この展示機は、エアーニッポン株式会社のご好意により寄贈を受けたものです。
1999(平成11)年1月13日の壱岐~福岡の飛行を最後に退役し、同年2月12日但馬空港へ最終飛行したものです。
また、同型機は1973(昭和48)年までに182機が生産されましたが、この展示機は103号機です。
【名前の由来】
YS:昭和32年に旅客機を設計開発するために発足した「財団法人輸送機設計研究協会」のイニシャルです。
11:最初の「1」は、ダート系のエンジンの意味です。次の1は、主翼面積95㎡級の意味です。
《見学される皆さまにお願い!》
この展示機は、航空歴史上貴重な遺産であり長く広<後世に伝えるため、大切に扱ってください。
1959(昭和34)年設立された日本航空機製造(株)に航空メーカー6社が参画して本機の設計、試作を行い、1962(昭和37)年8月30日に名古屋空港で初飛行し、1964(昭和39)年8月に型式証明を取得しました。
YS-11の開発目的としては、1,200mの滑走路を持つ飛行場で運航が可能である点に主眼が置かれ、開発には日本の航空界の総力が注がれました。
1965(昭和40)年9月、全日本空輸(株)の大阪~高知を皮切りに定期路線に就航、その後1978(昭和53)年4月には、日本近距離航空株式会社(現、エアーニッポン株式会社)路線でも運航を開始しました。
この展示機は、エアーニッポン株式会社のご好意により寄贈を受けたものです。
1999(平成11)年1月13日の壱岐~福岡の飛行を最後に退役し、同年2月12日但馬空港へ最終飛行したものです。
また、同型機は1973(昭和48)年までに182機が生産されましたが、この展示機は103号機です。
【名前の由来】
YS:昭和32年に旅客機を設計開発するために発足した「財団法人輸送機設計研究協会」のイニシャルです。
11:最初の「1」は、ダート系のエンジンの意味です。次の1は、主翼面積95㎡級の意味です。
《見学される皆さまにお願い!》
この展示機は、航空歴史上貴重な遺産であり長く広<後世に伝えるため、大切に扱ってください。